教育実習生はすごい

ついこのあいだ、家で教育実習生の話題が出た。彼らはバイトみたいなものだと母が言っていたが、実際はとてつもなくハードなんだろう。

小学校とかだとクソガキに付き合い体力と精神をすり減らしつつ授業の準備やら何やらしなきゃいけないんだから。私なら絶対無理だ。

中学校もめんどくさい。思春期まっただ中の子供は本当にめんどくさい。これは自分のことでもある。あのころの日記とか、読み返すと恥ずかしくて泣けてくる。

 

まあ、それを学生ながら必死で乗り越えているのもすごいのだけれど、私が話したいのはそれとはまた違うことだ。

 

昔、中学校に実習生が来た。その人は……………まあどんな人だったかは忘れた。大学生相応に拙くも精一杯楽しい授業をしようとしてくれていた、と思う。

 

ただ、彼のしたことがずっと私を支えている。

 

彼は、国語を担当していた。

ひどいことに特に実習生と仲良くしていなかった私の印象には残っていなかったのだけれど、ある日彼は教科書の中にある詩を読み解く授業をした。

石垣りんさんの「挨拶」という詩だ。ここに、ひとまず全文貼ろうと思う。

 

 

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の後もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。

 

 

 

…………ここまでが石垣りんさんの詩だ。

そして実習生の彼はこの美しい終わりに、今思えばなんとも蛇足なことだが、続きを考えよう、と言ったのだ。

中学生にこの詩の続きを考えろなんて言えば、だいたい想像はつくと思う。

書き始めは用意してあった。

「友よ、私たちの明日は  」だ。

このあと、何を書くか。中学生の時の自分で考えてみて欲しい、なんとなく想像つくんじゃないだろうか。

 

……えーと、私もちゃんと覚えてはいないが、確か大半は「いつ戦争でなくなってしまうか分からない」とか、うーん、まあ、そんなんだ。ニュアンスは。本当はもっとなんかそのまんまなやつだった。まったく覚えてない。

 

けれど私は違った。

…………弁明させて欲しいが、この記事で何も私は自分が当時周りの子と違っていた、詩を書く才能があった、すごい!という話をしたいのではない。私がちょっとほかの中学生よりは多めに本を読んでいたから小生意気にそれっぽいのを書いた、ということだけ掴んで欲しい。

 

実習生の彼は、各クラスでその授業をしみんなの詩を集め、後に1位から3位まで決めた。もちろん彼の独断──いやもしかしたらほかの先生達にも伺っていたかもしれないけれど。

それをプリントにして配った。1位だけではなく、入賞作品として様々なものを乗せていた。そのどれも、似たようなものが並んでいた。

 

1位は私だった。

 

匿名だが、プリントが配られた瞬間頬が燃えるように熱くなった。自分の書いたものは覚えていたから。それは、目立ちたくない私が周りの「だれ?」という詮索に怯えたのもあるが、何より嬉しかった。

 

……いや本当に、私がすごいという話をしたいのではない。でもこれは流れ上必要不可欠な情報なのだ。目を瞑って欲しい。

 

あとで私の元にやってきた彼は私の詩をべた褒めした。才能があるとまで言った。いつかすごい人になるかもしれないとまで言ってくれた。全て鵜呑みにした訳では無いけれど、その言葉が本当に嬉しかった。

 

極めつけに彼は、私が詩を書いた紙を貰っていいか、と言った。

 

私は、どうしてそんなことを言うんだろうと思った。良く考えればそんなにすごい詩でもないはずだ。たかが中学生の子供の書いた詩。

 

でも、死ぬほど嬉しかったのだ。月日を経た今、こうして書けるくらいには。

私は戸惑いながらも二つ返事で彼に紙をあげた。

もしかしたら嘘かも、とか思っていたが、クラスで一斉に返却した時。私一人その紙が返ってこなかったときに、ああ本当に、と思った。

その紙がどうなったのか、私は知らない。知っているのは彼だけだろう。何に使ったのか知らない。研究とかレポートとかかもしれないし、単に彼の好みの詩だったのかもしれない。

ただ、幾つも歳が上の大人にあそこまで本気で創作物(と言っていいのか?)を褒められたことは無かったし、求められたこともなかった。

 

これは後々他のクラスの子から聞いたことだが、彼はそのクラスの授業でも私の詩を褒めていたらしい。

 

いやそこまでされるとさすがに恥ずかしい。

 

 

……さて、これで教育実習生の何がすごいって、分かってもらえただろうか。実習生のみんながみんなこういう人じゃないのは重々承知だけれど、詩の続きを考える、なんて授業は普段学校で教えている先生にはできない、してもらったことが無い授業だった。

 

そこで、さらに自分の書いたものを褒めてもらえた。心から。

 

それはひとつの成功体験でもあり、私の心にずっと残り支えてくれた大事な柱だ。

一生懸命やっている彼だからこそ、記憶に残ったんだろう。普通に先生に褒められてここまで残ることはないと思う。

ずっとこの学校にいる訳では無いから出た、ある種無責任な発言ともとれるけれど、擦れてないってすごいことだ。

 

誰かの一言でずっと支えてもらえる、そういうこともある。

 

私は今そのおかげで文を書くことをやめなかったし、むしろ書くきっかけでもある気すらする。あの体験がなければネットで文章を公開するなんてことしなかったかもしれない。

 

 

これを思ったのも、ついこのあいだ、私の書いた……まあ二次創作なんだけれど……小説を読んで、初めて小説を読んで泣いたと言ってくれた人がいたからだ。

たかが画面上の文字で、私の脳内から出れば劣化してしまうそれで、誰かの心を揺さぶれるって、凄いことなんじゃないだろうか。

 

だから、ずっと彼には感謝している。

あなたの言葉で救われた。救われている。

 

 

タイトル詐欺かもしれない。言い直すなら、私の知る教育実習生はすごい。

体力も精神力も使い──高校生なんかだと数個しか違わないが──ずっと年下の子供と向き合おうとしている。その過程で、誰かの心を救うこともある。一生懸命やっている人は偉い。

 

だからまあ、なにが言いたいかといえば、母の言ったバイトと一緒みたいな言葉に反発したかったのである。

私たちが思っている以上に、彼らは頑張ってるんだろう。

 

中学生相手であっても本気で向き合ってくれた彼の言葉は、今も私の中にある。

 

 

……なにが書きたいのかだんだんわからなくなってきたので、ここで終わりにします。

頑張れ実習生、時期はまだ先だと思うけど。

しんでたわけじゃない

前回あほみたいに自分の力不足をあーだこーだと理由をつけて悔しい悔しいと子供のように喚き散らしていたのだけれど。

 

なんと驚くべきことに、100いいねを達成した。

 

達成すると思ったよりも喜びは少なかった。

 

達成するとか言ってる時点でダメな感じがすごい。

 

描いてる途中、私は何度もこれは一体他人にどれくらい褒めて貰えるものなのだろうかと思っていた。それを何回も頭を降って打ち消しながら描いた。

それは流行りのものであった。

流行りと言ったらなんか違うけど、まあ、流れがあったのだ。久しぶりにやってきた波、乗らない手はない。

とにかく早く描こう。鉄は熱いうちに打て。そう思い描いた。

それが結果として100いいねを達成したわけだ。

ただ、二次創作なのだ。

 

二次創作でも素晴らしいものがあっちこっちにあるのは分かっている。一次創作とどっちが偉いかとか、そんなの馬鹿らしい。でも私はずっと一次創作をしていた。それがひょんなことから二次創作を始めた。

一次のころはあまりに反応が無さすぎて逆にアップする時なんの気持ちもなかった。誰が見てくれるかなとかはなく、まあ、誰か見てくれてたらラッキーだよなあくらいの。

二次創作をはじめ、交流が生まれ、乗るべき波というものが見えはじめた時から私はおかしくなったような気がする。

 

そう、しんどいのだ。

 

私は何もかもにおいて長続きしない。この日記もそうなんだよほんと。

だから波がしんどい。継続してファンのいる場所に居続けるのが辛い。本当に、心底、一次創作向きの人間であると思う。

それでもハマった作品は描きたくなるし、そのジャンルに居る人と仲良くもなりたい。それが根底にある。

だからきっとしんどい。

交流してくれる優しい人。その人に気に入られたいのだ、私は。

思えば、実生活でもそうやって生きてきた。

誰かに気に入られたくて仕方がない。八方美人になれるほどの人間でもなく、誰かに気に入られるような何かを持つ人間でもない。

匿名の世界は安心だと思っていた。だって誰も私の顔を見ない。ツイートする前にボタンがある、ほんとにそれでいいのかと尋ねてくれる。少し冷静になる私の頭は気に入られる人格を作り出せるはずだ。

そう思っていたのだ。所詮そんなに取り繕ったもので上手くいく訳もなく、私は人と交わるのがこんなにもしんどいことだとネットを通して改めて確認し打ちのめされた。

 

本当に馬鹿だと思うよ。

 

100いいねを達成した時、私の中には何も無かった。ああ、3桁になった、くらいだった。

それまでずっとわくわくしていたはずなのだ。

この絵は私も気に入ってる。気になるところも多々あるけどそれよりずっと私が好きなようにかけたと思う。きっと100いく、いってほしい。

 

虚しいね。

絵がかけない

愚痴を吐き出しに来た。

 

絵がかけない。絵は幼稚園時代からかれこれ10何年描いてきたけれどいま絵がかけなくなっている。画力向上の隙はあると思う。とにかくもっと上手くなるべきだとも思う。

でもそういうことじゃない。

自分の絵が好きになれない。そういうことだ。

 

やっぱり好きな絵柄の人の影響は受けるものだ。好きな絵柄の人の絵はつい真似してしまう。少しでも自分の絵柄を好きになりたいからだ。

最初は満足する。あ〜〜〜超可愛い最高。

でも次第にだめになっていく。描けば書くほど理想と離れていく。

 

絵を書きたいのにかけない!私は自分の絵柄が好きじゃない!!好きな絵柄を真似してもだめ!!!じゃあどうやったら楽しく絵がかけるの!?

 

私の好きな絵柄は系統が別れている。

思っきしデフォルメをかけて、色塗りも可愛い感じの。ちょっと毒がある雰囲気のが好きだったりする。

でも、めちゃくちゃリアルなのが好きでもある。

私はどっちで描いたらいいんだろう。私はどんな絵柄なら満足出来るんだろう。

デフォルメかけまくって可愛く書いてもだめ。なんでって、今まで等身の高い絵ばかり描いてたから。だからって、デフォルメに全てを合わせて絵柄を変える力もない。等身を元に戻す。だめだ、目がでかい。おかしい。

いつものようにリアルより、等身高めで描いてみる。

だめだ、なんかもう、好きになれない。

私の絵が下手だからか!?

 

正直、私より絵が下手だなと思う人はたくさん見かける。でも何故か惹き込まれてしまう人がいるのだ。どうやったらそれが出せるんだろう。あの、上手く言えないけど、その人独特の絵柄。雰囲気。惹き込まれる、きらりと光るもの。どうやったらそれが得られるのだろう。

 

もうなんかどうしたらいいのかわからない。

どうすれば私は私の絵を好きになれる。

身体はいくらでも練習出来る。とにかく顔が気に入らない。

ノートにいろんな絵柄で顔を書いてみる。どれも気に入らない。ころころと絵柄が変わる。汚い落書きばかりでノートがうまる。Twitterで見かける絵師さんの落書きで埋まったノートはあんなに価値があって美しく見えるのに、私のはただの汚い落書きノート。どうして?

どうして好きになれないのだろう。

はっきりと絵柄の方向性を決められないからか。なんでなんだ。

 

もうしんどい。絵を描くのをやめたい。でも好きだから描きたい。私の、思うようにかけるようになりたい。自分の絵を好きになってあげたい。

多分明日になればまた模索して絵を書く。でも今日は疲れてしまった。

私のためにしていることなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。

 

私には小さな夢がある。それは自分の好きな絵で、いつかTwitterで100いいねを貰ってみたい。ただそれだけだけど、死ぬほど難しい。

 

ちくしょう。

なんだお前は

ブログって何書けばいいんだ全然わからない。特に誰かに見せたいわけでもなく、なんとなーく好きな人がやっていたので私もやったろうかと始めてみた。みんな何書いてるんだこれ。

とりあえず、適当に書いてみたら何か掴める気がしている。



日記が全然長続きしない質だ。

綺麗な字でびっしりと日々のことが綴られた日記を数年後に読み返して笑ったり恥ずかしくなったりするのが小さい頃からの夢だけど、全く出来た試しがない。

そもそも字が汚い。三日坊主だ。

日記の書きかけばっかりが貯まっていく。捨てようにも捨てられない、もったいないし。そしてまた新しいノートを買う。

なんだこのスパイラル。

続きに書けよ、と思うけど心機一転というか、新しいことを始める時がぶっちぎりでワクワクする。その快感を追い求めてる感じがすごい。


ゲームが好きで小さい頃誕生日やらクリスマスやらでねだっていた。でも最後までちゃんとやり切れたものは数少ない。だってひとつのことをやり続けるの苦手。

キレイに包装されたプレゼントをわくわくするままに破りさいて箱の中から取り出す時が楽しい。カセットを入れてゲームを起動した時、自分が主人公になる時、最高にワクワクする。いっとう好きな時間だ。

そこからは楽しさは下がっていくばかりだろう。何かを継続するのができないタイプの私は、毎日そのゲームをやるということはなく、だから久しぶりに起動してあー前何してたっけという感じになる。だめだこりゃ。

だからやる気は削がれていく。

数少ないクリア出来たゲーム、ルーンファクトリー3ゴッドイーター2ポケモン空の探検隊……そこらへんだろうか。

ペルソナとか速攻諦めた。というか、次こそクリアしてやると思って一から始めて、ワクワクして、でもその熱は続かない。


話が完全に逸れてた。

ちがう、日記の話だった。日記は毎日かけない。まあ思いついたら書こう、なんて思ってたら一年とか平気で経ってる。本当に向いていない。

でもこういうのだったら毎日とはいかずとも、細々と続けられるかもしれない。なんてったって私は自分語りが好きだ。

そういう、希望もかかっている。


……こんなこと書いてるけどそんなに書きはしないんだろうなあ